忠魂祠改修事業に町費支出/忠魂碑には軍事教育の歴史がある/軍国主義の精神は「平和の礎」では無い

戦前の軍国主義の精神的なシンボル忠魂祠改修事業に
町費支出、将来に禍根を残す事になる

 12月議会において、補正予算の中に「平和の礎・忠魂祠改修事業実行委員会補助金」があり、補助金額は150万円です。補正予算は与党議員の賛成多数で採択されました。
 嵐山町の「忠魂祠」と「忠魂碑」は菅谷館跡地内に建立されています。設置されている説明版によると、昭和2(1927)年に創建されており、その後、昭和40(1965)年に再建修復したとあります。再建修復から50年以上経過しているため、経年劣化と地震などで土台のコンクリートにひび割れが生じたもようです

寄付が集まらず町の予算で改修

 そのため社会福祉協議会では「忠魂祠改修実行委員会」を設立し、町民に寄付を募りましたが、寄付協力者があまりにも少なかったため町の予算で改修することにしたものです

忠魂碑には軍事教育の歴史がある

 しかし、忠魂碑には忘れてはならない歴史があります。
戦前には、戦死者を「天皇のため国のために忠義を尽くした英霊」と讃え、「この人たちにつづけ!」と鼓舞する碑であり、軍国主義の精神的なシンボルとしての役割を果たしました。

軍人が立派に死ぬ誓いの場

 当時を知る方は、「自分も立派な軍人になります」という誓いの場であったとのことです。「立派な軍人」とは、立派に死ぬことでもあったということで、まさに軍事教育の一環の施設であったわけです。

日本の侵略でアジア各地に多数の犠牲者を生んだ

 第二次世界大戦では、日本の侵略によってアジア各国に甚大な被害をもたらし、中国だけでも2000万人とも3000万人とも言われる犠牲者を出し、日本でも約310万人(1963年政府閣議決定)もの方が犠牲となりました。
 町内でも徴兵されるなどして犠牲になった方が多数います。

戦争を推進した人達を賛美している

 「忠魂祠」は、昭和40年に「村内全体の英霊を一堂に祀り」再建修復し、その際に説明版によると「ラバウルの名将今村均元大将を招き、合祀慰霊祭を挙行した」とあります。今村元大将は戦後の評価はともかく戦争犯罪人として裁判が確定している軍人です。そういう人物を招いて「ラバウルの名将」と称えています。

 「忠魂碑」には「陸軍大将伯爵書」とあり、忠魂碑の文字は寺内正毅(まさたけ)氏が書いたということが、そのまま残っています。寺内氏は内閣総理大臣も務めていましたが、内閣総理大臣よりも陸軍大将が上位であることを示すものでもあります。

軍国主義の精神は「平和の礎」では無い

 戦前の軍国主義の精神的なシンボルとしての役割を果たした。忠魂祠・忠魂碑は、「平和の礎」と名前をつけても本質的な性格は変わりません。

本当の供養は戦争をしない平和な日本を作る事

 このような施設に、町費を支出することは将来に禍根を残すことになり、あってはならないことです。
犠牲となられた方々へのいちばんの供養は、「二度と戦争はしない・起こさせない」と誓いあい、「平和な日本・戦争をしない日本」をつくることではないでしょうか。

「新しい嵐山」240号から